Dec 24, 2008

重要なのはテーマ設定能力だけ

404 Blog Not Found:勉強が出来る=何がいい?
「勉強ができる」ということは「努力し続ける力がある」ということ - ひがやすを blog

「勉強ができる」とか「頭がいい」とか言葉の定義でどうとでもなる話は置いておくとして、何歳になっても自分が置かれているシチュエーションなどが変わっても、根本的に必要なのは「テーマ設定能力」だけだと思う。少なくとも私にとって「頭がいい」と思われる人の筆頭は(日常会話においてもあるいは仕事の場でも)「誰も思いつかないような疑問を思いつく」人である。なぜならそうした芸当はその場で新しいテーマを設定するだけの能力がないとできないからだ。

さて、私は比較的マッチョな部類の人間なのかもしれないが、高校生くらいから何をどうやって勉強(or whatever else)するのかはだいたい自分で決めてきた。そのときから気を付けていたのは、「3日でできるテーマを設定し、それを実行する」というだけの単純なこと。この方法には2つ利点がある。

一つは(テーマが決まっていさえすれば)達成するのに、惰性で何とか3日続ける程度の忍耐力がありさえすれば済むこと。「赤本を1ヶ月かけてじっくりやります」「TOEICのテキストブックを1ヶ月かけてじっくりやります」「カーネルソースを1ヶ月かけてじっくり読みます」的なマイルストーンを設定するのに比べて成功率が高い上、オンデマンドで今知りたいことをある程度の深度まで理解する目的にも役立つ。

もう一つは週に2テーマこなすとして1日残る予備日を利用して、遅れを挽回したり理解度をevaluateしたりできること。つまりは原始的な進捗管理のフォーマットになる。大きめのマイルストーンはたいていの場合それ自体進捗管理を難しくする根本原因となるが、小さいテーマなら仮にまるっきりさぼってしまってもあるいはテーマ設定が悪くて身にならなかったとしても、3日分のサボタージュや徒労や無駄なら簡単に諦めもつく。

この方法の欠点は網羅的に何かを知るのに適さないということだが、網羅的な知識がなくて困ったことはいまだかつてない。何千英単語を網羅的に知らなくても英語を使うのには困らないし、隅々までx86 ISAやらライブラリAPIやらを暗記しなくてもソフトウェアを作るのに何も困らない。考えてみれば当たり前のことで、網羅的な知識とはどこかの間抜けな猿がピックアップしたから網羅的に見えるだけなのだ(ISAやAPIのような完全な人工物ならそれが当てはまらないかと言えばそうでもなくて、なぜそのようにデザインされるべきなのかという知見を含めて考えれば完全な知識というものは存在しない、存在し得ない)。むしろ、何を粗方知っているか(どんなテーマを設定し、それを実行してきたか)ということの方が重要だ。

昔、甘利俊一さんが大学の講義でよく「私の講義は、飛行機でときどき目立った頂に着陸してはその周辺を調べることで全体を理解した気になるためだけのもの」というような趣旨のことを言っていたと記憶している。ただただ出来の悪い学生でしかなかった私だが、今は万事がそういうもの(彼の講義のようなもの)であり、「頂(テーマ)」を見つけること、見つけるだけの「眼」を持っていることがすべての上達の道なんだと思う。

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