Nov 22, 2005

Web 2.0 とかGeek 2.0とかについて

404 Blog Not Found:Geek 2.0

ArtistとArtisanに分けるという考え方も、議論のためにわざわざ単純化された二項対立を導入したのも理解できますし、Web 1.0に比べて2.0における相対的な(再)発明の質・量が小さいものに留まり、従って地味なものになるかもしれないことは大いに首肯するところです。

そうなのですが、釈然としないなと思える部分もあります。それは、そもそもソフトウェアにしろ自動車にしろ無数の階層から構成されるプロダクトであり、そのどの段階にもArtistもArtisanも要求されるのではないかと私には思えるからです。カンバン方式を発明するものはArtist、それを運用するものはArtisan、Web2.0のナイスな利用方法を発明するものはArtist、それをパターンとして利用するものはArtisanというようにです。これは小飼さんと同じことを別の言い方で言っているに過ぎないかもしれませんが。

そう考えると専門化とは要するにその階層の多層化ないし精緻化を意味し、ArtistとArtisanの仕事が乖離するのは、精緻化に伴って要求される知識の領域がより狭くしかしより深くなった結果として、副次的に生じることではないか、と。卑近な言い方をすれば、Artistは周辺の知識を俯瞰(できる|する必要がある)けれども、Artisanは(できない|する必要がない)というように。

さらに言えば、その後Artistが「すでに芸の場ではない」と判断する階層からは去ってしまうという現象が観測されるということでしょう。アカデミアにしろ、医療機器業界にしろ。

その理由には、本質的にはArtistの質・量が不足しているという事実(あるいはそれは神話かもしれませんが)があり、それらのリソースの効率的な配置が、Artistのごく情緒的な判断に委ねられたり、非情緒的な(端的には経済的な)事由に帰されたり、あるいはそうした効率性・機能性を一顧だにしない集団への土着性があったりするでしょう。つまりはArtistの質も量も、それゆえに効率的な配置もそれらへの十分な投資も運用も、何もかもない・なされない状態にあるのではないか、というのが私の印象です。念のため「Artistの質・量が不足している」という前提が成立しない場合、そもそもこの話は意味がありませんけれどね。

さて、それとはまったく関係なく、数多ある「Web 2.0が何なのか」という説明の中でも「geek向けのマーケティングである」という説明に対して妙に「ポジティブに」納得されている人を見かけるのは、私には俄かに承服しかねるというか、一種の驚きでもあります。

それってぶっちゃけgeekと彼・彼女の判断能力をあまりにも侮ってなくね?

どこかの本屋のインテリおやじの書いたものとか、masahikosatoh.com: WEB2.0は確実にやってくる波とか見ていると、Web 2.0のマーケティングというのはごく社会学的なアプローチを採っているようにしか見えないのですけれど。結論が先にあったり、定量的なデータを示さなかったり。例えば後者の図なんて掛け値なしに信用できる部分というのは、インフラ部分だけでしょう。なぜ納得できるのでしょうか、私には理解できません。納得してしまえる人だけが感応すればよいという仕掛けなんでしょうか。そのあたりがマーケティングだという証左なんでしょうか。結局のところトレンドに付いて行きたいあるいは付いて行かざるを得ないと思うgeekのメンタリティを利用した詐術なんじゃないですか、と言いたくもなりますよ、それは。いやまったくその通りなのかもしれませんが...。

むしろ宮川さんや伊藤さんがご自身のブログでごくごく現実的なメソドロジーやパターンを模索していることの方が遥かに有意義です。そのこと自体は車輪の再発明かもしれませんが、計算機科学に関わる諸技法はあらかた予め発明済みの事柄ばかりですし、発明済みだから無用ということはもちろんありませんから。

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