Aug 4, 2001

Planet of the Apes

Title:Planet of the Apes
Director:Tim Burton
Year:2001
Place:シネタウン岐阜
Eval:★★

68年の伝説的映画のリメイクだけにシナリオ作りが難しかったに違いない。本作では、全く違う話にはしないでほぼ前作を踏襲し、テーマのみを時代に即するように変更されている。冷戦時代の前作は核戦争をテーマにしたからこそカルト化し得た。一方で本作は銃規制問題をテーマにした。地球的規模の問題である核に比べれば問題意識を共有しにくいことから、このテーマを過小評価する向きもあるとは思う。しかし、アメリカ社会にとって脅威であることには違いがなく、一面的な問題の大小でテーマの軽重を判断すべきではないと私は考える。

本編の内容の説明はしないが、火、怒り、銃に関わるモチーフが繰り返し提示され、クライマックスは「他人に向け得る怒りは自分に対しても向け得る」という教訓で幕を閉じる。

ラストシーンはいささか解釈が難しいかもしれないが、テーマを強調させるために用意されている。レオは、意図したわけではないが、人間と猿人の共存する「銃のない世界」を創り上げ、伝説の主人公となって彼らの記憶に残る(アリが言ったように)。惑星を飛び立ったレオは磁気嵐に突入し、元の世界に戻って地球に不時着する。彼はリンカーン像がセードの顔になっていることに気づく。パトカーが到着し、銃を持った警官がレオを取り囲む。彼らが猿人であることに愕然とするレオ…。これはもちろん「銃のない世界」を創ったにも関わらず今度は地球で銃を向けられるという皮肉であり、制服を着た猿人は現代アメリカ人の野蛮さの象徴に他ならない。観客は自分達と同じ役割を果たす猿人を見て自らの野蛮さに思い至らねばならない。リンカーンはアメリカにおいては奴隷解放を実現した神話的英雄だが、一方で南北戦争がアメリカ大衆に武器をばらまくきっかけになったとする意見もある。結局、社会的通念をも疑って内なる野蛮性に気づけと言っているのだ。残念なのは、このシーンが付け足しのように見えることだ。Oberon号は土星近くにいたのだから、レオが地球に不時着するのはおかしい。なぜ猿人が地球を支配しているのかも示されない。SF好きな観客は、実は「惑星」は古代の地球で云々、と無理矢理説明しようとするかもしれないが意味はない。なぜなら上で述べたように猿人は野蛮さのメタファーでしかないからだ。それにしても付け足しには見えないように、オープニングあたりでリンカーン像を見せておくべきだった。

メイクは素晴らしい。とりわけ「怒りの権化」「虚偽の宗教的リーダー」たるセードの邪悪なメイク・コスチュームは素晴らしい。群衆シーンの美しさにも目を奪われる。カメラも久々にカット割りに関心させられた。セードは怒りを激しい動きで表現するのだが、短いカットを繋げることでこれらのシーンが実現されていた。

全般的に人物描写が希薄なのは気になった。クラルとアターの確執の原因も分からず仕舞いだし、アリの心情も説明されない。セードは現状ではその複雑なキャラクターが分かりにくい。もっと説明すべきだ。一方でオッパイ係Estella Warrenはまったく不要だ、60-70年代の映画ではないのだから。ジーラとコーネリアスのような印象的な(猿)人物が本作にはいないのが残念だ。

About Me

My Photo

つくばで働く研究者

Total Pageviews

Amazon

Copyright 2012 Ogawa::Buzz | Powered by Blogger
Design by Web2feel | Blogger Template by NewBloggerThemes.com