Oct 29, 2000

Being John Malkovich

Title:Being John Malkovich
Director:Spike Jonze
Year:1999
Place:Cine Citta
Eval:★★

今更ながら、「Being John Malkovich」を観たのでその感想を少し。

散りばめられたブラックユーモアに翻弄されがちだが、単純な寓話である、即ち「自己の確立ができていない者が、確固とした自己実現を果たした者に嫉妬し、その罰を受ける」。

冒頭の人形劇が秀逸で、物語が自己愛や自己嫌悪の問題を扱うことを最初に明らかにしてくれる。人形師、俳優という職業もテーマに深く関わりがある。つまり、puppet、puppeteerは通常は分離し得ない肉体、精神をそれぞれ表象しており、俳優とは他人を演じることでアイデンティティを一時的に取り替えられる人々である。これだけ材料が揃っていれば、後の物語は否応なくスムーズに展開する。

潔く単純化すると、不遇の人形師Craig(自己を確立していない者)が地位も名誉も性的魅力もある俳優Malkovich(自己を確立した者)に嫉妬し、「穴」を利用することでその肉体を手に入れて本望を一時的に成就するが、罰が下る。その罰とは、自己実現を果たしていないCraigが、赤ん坊という自我形成以前の、彼にとって相応しい器に戻されるというもの。かなり教訓的、それもディズニー並に教訓的と言ってよいだろう。

いささか解釈が難しい点も残る。家で動物の世話をするという行為は、通常なら人の優しさの隠喩として使われることが多いのに、この映画ではLotteの愛情の対象が夫Craigでなく同性を含めた奇異なものに向かっているということを表している。

Malkovichが老人たちに乗っ取られたことは、人が老成し、知恵を身につけ、安定・充実した状態を示しているのだろう、でなければ本人にとって不本意過ぎる。あるいは、性別やアイデンティティの垣根が希薄になりつつある現代にあっては、人は老成するとともにアイデンティティが複雑化する、逆に単一のアイデンティティを希薄に感じることすらある、とでも言いたいのだろうか。後者は例によってうがち過ぎか?

最後の長い美しいカットも印象的である。確立していない自我に対してネガティブな(Craig Schwartz=黒)見解のみを述べてきた物語とは裏腹に、そういう自我の持つ無垢な美しさと不安定でどこに行ってしまうか分からない危うさを観客に印象付けたいのであろう。

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