Sep 29, 1999

D's Garage 21

徹夜明けで変な時間に起きたら、テレ朝でD's Garage 21という番組で民生用の機材を使った創作CGフィルムを延々流していた。素人作品と考えれば確かによくできているのだが、いずれもカメラの位置がおかしいために「ポリゴン酔い」、というか不快なことこのうえない。

製作者たちは多分映画を撮ってみたことはないだろう。おそらく動かす前に視点位置を決定しているか、座標系に対して視点位置が有名角で固定されているせいで、映画手法的にはあり得ない方向にオブジェクトが移動しがち。また、解像度が得られないからという理由からだろうが、オブジェクトの配置位置が近すぎる。この二つの効果の相乗効果がとてつもない違和感を作り出している。

Sep 25, 1999

サムチャイおじさんの台所@自由が丘

台風一過のけだるい昼下がり、ある指令が俺のもとに届けられた。「じゃ自由が丘ー。タイ料理。よろしくー。(中略) トリ急ぎ。カアー」。一瞥し、俺は思った……自由が丘はエスニック料理不毛の地だ。南口のベトナム料理屋ダラートは場末の居酒屋にしか見えず、店内には「早いね、美味しいね、でもちょっと遅いね」という一見して矛盾した張り紙があり、事実料理が出てくるのは遅いが、だからと言ってそれを待ちわびる客で満席になることは決してないのだ、と。おもむろに俺は胸ポケットから煙草を取り出し、…。

この文体では本題に入るまでにすごーく疲れそうなのでSUSPENDED。THE FRONTの地下のサムチャイおじさんの台所という、周富輝の名前も借りているお店に行って来た(だからサムチャイさんってだれ?)。中華とエスニックのちゃんぽん。大変安かったのだが、「チャージ」という名目で猛チャージされてしまう攻撃的な店でもある。また、味について語るべきことは何もない。

Sep 22, 1999

BD-1

お金が貯ったらBD-1を買おうと長らく思い続けていたが、ホイチョイ「メッセンジャー」のせいで自転車を買うタイミングとしては最悪なのに加え、よく考えてみれば台湾中部大地震(というらしい)が影響を及ぼすはず…。

それにしても、かなり安直なURLは、http://www.jitensya.co.jp/

New Celica

Live, Love, DriveのNew Celica、素晴らしい(CMはVincent Gallo?)。このデザインを自社のスペシャリティカーに採用してみようと思ったTOYOTAの見識には感服する。

ホイールベースを稼ぐためにオーバーハングはとにかく短く、車高もラゲッジルームも通常セダン並、従ってPriusほどではないにしても鈍臭いシルエットにプジョー607より大胆なヘッドライト、意味なくエッジの立ったプレスライン。つまり、これは、単にカッコよくあるべき「だった」スポーツクーペのコンテクストを放棄した、悪目立ちするためには実用性が云々と言い訳しながらも自尊心を犠牲にできる趣味人のためのスペシャリティカー。

街中で見かける度、私は間違いなく運転手に手を振りましょう。購入を検討している人が身近にいれば、私は惜しみない拍手で勇気づけましょう。

Sep 18, 1999

Christian Marclay @ 吉祥寺Star Pine's Cafe

吉祥寺Star Pine's CafeでChristian Marclayを聴いてきた。車で行ったのだが、調布の友人宅を訪れた後、どうやっても間に合う時間に出たはずなのに井の頭公園でとんでもない渋滞に捕まってしまい、着いたのは開演から30分後。見逃したのは前座なのでよしとしよう。

なるほどー、ああやって音を出していたのか。ターンテーブル自体を打楽器やピックアップする対象として用いるのはありとして、手に持ったレコードに針を載っけてぎーぎー引っ掻くのには笑った。もちろん、レコードの音自体も効果的にディレイ、リバーブを介して再生していて、ビートあり、低音あり。特に後半以降は楽器や声をうまく響かせる構成が目立った。そして、謎の必殺アイテム、張り合わせレコード(実はビートの正体なのだが)。席が右端だったので十分にパフォーマンスを見られなかったのが残念。隣の兄ちゃんがDJ小僧だったのだが、Marclayの演奏が始まるといきなり椅子の上に立ち上がっていた。

Star Pine's Cafeは実は初めて。コンパクトで音響もいい小屋。子供連れもいた。子供はノイズを摂取しても平気なのか、それは謎である。

Sep 14, 1999

無免許のカリスマ◯◯

ちょっと流行らせたい(かもしれない)言葉、無免許のカリスマ◯◯

無免許のカリスマ研究者。

無免許のカリスマ医師(ドライバー)はまずいけど、
無免許のカリスマ料理人はいそう。

Sep 5, 1999

Eyes Wide Shut

ようやく、Eyes Wide Shutを見た。面白かった。この話は倦怠期を迎えた夫婦を描いたものだが、実質的に男性側の性的心理に関するdéforméと言ってよい。冒頭のシーンから明らかなように極端なまでに男性の視点から描かれており(密着していると言ってもよい)、かつあくまで心理に関する映画であるため、女性観客や単なるエロ映画を期待している若年層に受けが悪いのは致し方ない。もちろん、悪いのは観客の方である。

カメラがよい。Kubricの映画はどちらかと言えば適切でないカットを使いがちで、観客を戸惑わせることも多く、またそれが彼のexoticismでもあったのだが、ともかくこの映画ではカットが的確で接続もよい。セックスシーンの効果については、照明がオレンジっぽいのか、ノイズを載せるときにオレンジが強まるように色を落としてあるのか定かではないが、一方Kubricらしい発明があるわけでもない。

最後にこの映画が男性の視点から描かれているため、男性の期待するような女神のように神々しい体型をしている必要があった(Kubricはそう考えたろう)。ニコール・キッドマンを始めとする女優陣は、それに「一様に」適っていた。この事実を確認するにつれ、私は思わず微笑まずにはいられなかった。言い訳がましいが、私の好みはもう少し違うところにある。

追記:
中年にならないと分からないリアリティってのも(多分)ある。私も彼らのリアリティを共有できないのでカリカチュアとして見るしかない。心理描写が主眼の映画で物語を求めるのもどうかと思うが、(以下はちょっと慎重に括弧の対応などを考えて読んでね) 「俺(トム・クルーズ)って昔はナイスガイでならしてたんだけど、近頃性的魅力がなくなってきたんじゃないの」という当初の主人公(観客)の見解が紆余曲折を経て、少しずつpositiveに改まったら良かったの? そんな中年グローインアップ物語こそ明白に陳腐というべきものだが、この物語では「不安→妄想→やみくもな行動→(挫折?)→不安」というループから結局のところ抜け出せない。中年に不安を煽るのに適切で、中年でない人にそういう不安の実在を理解させるのに効果的な物語ですよね(後者に関しては疑問も残るが、しかし…)。だいたい中年は無闇に成長してはいかんっ。

さらに追記:
「体験」の乏しい人は「情報」を極端に求める傾向がある。体験と情報の前に「性」を補ってみて ;-) しかし、実際に勇気を振り絞って手に入れてみると陳腐なものだったり、大したことはない場合がほとんどだ。EWSでの仮面パーティはまさにこういう陳腐なものの象徴であって、それをことさらに陳腐だと指摘するのは的を外している。この話は止めにしよう、読者のタブーに触れている気がする。

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