Dec 26, 1999

Fight Club

遅ればせながら、Fight Clubを見てきた。人間の持つ暴力性の萌芽・発展・暴走・崩壊の流れを描いた現代の寓話として素晴らしい出来だ、と何のためらいもなく断言できる。ここでは細かいプロットに言及することはしない。映写機の切り替えサインが「『あるメタファー』の切り替え」を表すために演出上多用されている。しかもこのサインの機能自体は劇中でもちゃんと説明されるという自己言及ぶりがDavid Fincherらしくて面白い。この演出とメタファーの連関に気が付かない観客も相当いるに違いない。ちなみに「暴力性の萌芽」を表すメタファーには、時折1フレームだけ「とある人影」を挿入するという方法を採っている(この方法は「萌芽期」、すなわち、序盤にしか使われない)。これもまた劇中で話題にしている。

まだ観ていない人が多そうなので詳しい話は別に機会にするつもり。

2000.06.20追記:

そろそろレンタルビデオでFight Clubが見られるようになったそうなので、書かずにおいた感想を書くことにしよう。

Brad Pittが演じる暴力の権化的キャラクターが石鹸作りをしているのは、石鹸がセックスに関係あるからだ。暴力の優位とセックスの優位は関連があると、一般には、というかアメリカの神話的には、認識されていて、実際にセックスの優位を示すシーンもある。

ところで彼がなぜかフィルムの編集をするための暗室を持っているのは一貫性を欠いた行動なのでかなり気になる。しかも一シーンしかない。要するに、このシーンは以前述べたFincherのやりたかった自己言及を達成するためだけに用意されていて、しかも公開時にカットされなかったのであろう。

そして、ついつい忘れてしまいそうになるくらい影の薄いHelena Bonham Carter。彼女は最終的に救いになる女性だが、いやだからこそと言うべきか、彼女はEdward Norton演じる主人公と同じ種類の人間である。つまり日々に退屈している。主人公との違いは物質的に恵まれているかいないかの違いだけで、出会い方が違っていれば、主人公たちは本当はこんな壮大な回り道をせずに済んだはずだ。私には、貧富と退屈な生活を送るかどうかの関連を否定するために導入されたプロットに思える。異論があっても不思議はないが。

金がなくて退屈するのはしかたがないとして、金があってもcKとか北欧家具(とかSony、とかAudi)みたいなそこそこ値が張って当り障りがない「だけ」のプロダクトやサービスを、「デザインがよいかも」(バカ!)とか「雑誌に紹介されている」みたいな本当は所在のない理由で選択し収集してしまえば、「一回分の」リストにそれらのプロダクトやサービスを加えること、つまりは「退屈」を導く、と。

ところで、Alien 3やSevenも撮ってるFincherが私の想像以上に薄っぺらくキリスト教的な人だったのだとすると、この映画で言いたかったのは単に「暴力も怠惰も罪、愛こそ正義」ってことなのかも。あいたたたた。

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